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在米日本人インタビュー:米系金融機関で働く


自己紹介をお願いします

  • 現在はニューヨークのマンハッタンにて、大手米系金融機関に勤務している。


アメリカに来る前の経歴について、教えて下さい

  • 長野県の田舎出身。高校卒業まで長野県で育ち、公立の学校に通った。大学で東京に出てくるまで、日本人以外の人種をほぼ見たことがなかった。

  • 大学2年生の時に、1−2ヶ月程度、大学のプログラムでオレゴン州のポートランドにある提携校に行った。その際に英語が全く通じなかったことのリベンジがしたく、大学を休学して1年間UCサンディエゴで語学留学した。

  • 大学卒業後、総合商社に入社。トレーディングや投資案件の審査をする仕事をしていた。

  • 3年間商社で働いた後、妻の意向もありアメリカに戻ることに。当初は勤務先の商社の米国法人でポストを探したが、結局ポストは見つからず、退職。無職状態で妻の実家で過ごしつつ仕事を探していたところ、別の総合商社の現地法人でTreasuryのポジションを見つけた。

  • しばらく勤務した後、メガバンクのNY法人に転職。法人向けローンのUnderwriting(リスク審査)の業務を担当。4年程度勤務した後、現在の米系金融機関に転職。法人向けローンのUnderwritingや、デリバティブ等のCredit Portfolio Managementの仕事をしている。


アメリカに来る前の海外経験はどのくらいか

  • 語学留学の時に出会ったアメリカ人の妻と結婚。前述の1ヶ月のポートランドでのプログラム参加と、サンディエゴでの1年間の語学留学のみが海外経験だが、配偶者とは日常的に英語で会話。ただ、今でも英語には苦労している。


アメリカに来る前、英語はどれぐらい出来たのか

  • 総合商社に入社する時点でTOEICで900点以上はあり、最低限仕事で使えるレベルではあった。業務で契約書を読む等、英語を使う場面はあった。

  • 総合商社の現地法人、メガバンクの現地法人、そして現在の米系金融機関と、キャリアを重ねる中で、英語へのExposureが増えていき、それに伴い上達したと思う。


今現在はどんな仕事をしているか

  • Specialty Financeと呼ばれる領域で働いている。ノンバンクが様々な資産に貸付を行う為の資金を貸し付けている。ポートフォリオの8割はResidential mortgage関連で、その他はAuto loanやConsumer loan関連。

  • 顧客との貸付条件やストラクチャーの調整・交渉を行い、行内での承認を取得するのが主な業務。


現地で仕事を得るうえで、どんな苦労があったか

  • 総合商社の現地法人で仕事を得る際は、ほぼ苦労はなかった。配偶者ビザで渡米した後、面接から1日、2日程度で内定を得た。元々商社にいた事+財務周りの経験+就労できるビザがあるという3点が効いたと思う。

  • 米系の金融機関での現在のポジションは、リクルーターが向こうから連絡してきた。業界が伸長している一方で人材は少ないことが背景。Hiring Managerからも是非来て欲しい、という意向を感じた。元々いたメガバンクではCLO WarehousingやLBO loanのCreditを担当しており現在のUnderlying Assetとは異なるが、それでも面接に来て欲しい、というのが先方のスタンス。


仕事の面白いと思う部分はどんなところか

  • 今の米系金融機関で魅力的なのは、専門性を持った優秀な人材が多いこと。MDクラスは現在の領域で長年経験がある人も多く、業界知見が蓄積しており意思決定が比較的早いと感じる。

  • 現在の担当領域では新しいプロダクト、複雑なストラクチャーについて日々勉強できる。

  • 住宅ローンは、米国債に次いで二番目に業界規模が大きい資産である一方で、元を辿るとアメリカ国民の一般住宅向けのローンになっている、といったお金の流れを考えるのが楽しい。


日本と比較して、仕事についてどの様に感じているか

  • 学部生のインターンのレベルが高い。優秀なインターンの中でも一握りしか入社できない会社であり、自分は到底新卒では入れなかったと思う。Valuationや会計がある程度出来る前提で入ってくる。プレゼンテーションスキルも高く、シニア含む数十人の前で堂々と発表できる。

  • ネットワーキングが日本とは違う。誰が誰を知っているかが凄く重要。今のボスにも、VP以上はRelationshipが大事と口酸っぱく言われる。自分の味方をたくさん作るのが大事。

  • メンタリングの仕組みが整っている。メンターを探す人・引き受け手が職種とかチームとかに基づいて、マッチングされる仕組みがある。


なんでアメリカに来ようと思ったのか

  • 遊び感覚でポートランドのプログラムに参加した際、何も出来ない自分にフラストレーションが湧いた。ホームステイ先の子どもたちに、彼は何も理解で来ていないと笑われる経験もした。そのリベンジをしたいと思い、1年休学して語学留学。

  • 外国人の女性が好きで、頑張ってアメリカ人の彼女を作った。髪を切り、短髪にして、デコを出して、筋トレして、パーティーには絶対参加。

  • 就職のため一旦日本に帰ったが、サンディエゴは凄く良い場所で、戻りたいという気持ちが強かった。


日本で働きたくない理由はあるか

  • 中長期的なスパンでは、日本に永久帰国したいと思っている。帰国する度に、日本は素晴らしい国だと思う。日本語が使えて、幼い頃から人間関係はほとんどが日本にある。

  • ただ、給与水準のギャップは厳しい。基本的に、金融のキャリアだけで考えたらNYで働き続けた方が良いと理解している。


アメリカにはどんなビザで来たのか

  • 配偶者ビザで渡米。配偶者ビザは、基本的にグリーンカードに連なるビザ。1年間程度は保持していた。1年間問題なくアメリカで過ごせたら、2年間のコンディション付のグリーンカードが付与され、2年経過後、10年間のグリーンカードに更新できる。


ビザで苦労することはあったか

  • 配偶者ビザの取得の際、通常は弁護士に依頼するが、節約の為に自分で対応。過去10年の居住した住所を記入する等、膨大な書類作業となった。

  • グリーンカードを取得する際の面接は日本の米国大使館で受けた。面接時には妻とバラバラに呼ばれた上で、偽装結婚ではないか仔細なチェックがなされる。事前に共有した写真がいつ撮影されたか質問されたり、初デートの場所について聞かれる等。本当に覚えていないこともあるので、ドキドキしながら面接を終えた。


アメリカで働く中で、どんな苦労を経験したか

  • メガバンクにいた際の社内異動がキャリア上の大きな転機となった。駐在員の人に何でもやることをアピールし、現地採用ながら日本語が出来ることとと、総合商社出身であることから重宝してもらった。異動時の面接で、その人物が口利きをしてくれたことが奏功した。異動により、真にアメリカの環境で働き始めることが出来た、と感じられる様になった。


今後どの様なキャリアにしたいと思っているのか

  • まずは今の環境でPerformしつつPromotionしたい。一方で、Internal transferのプログラムが充実しているので、異なる部門に動くのも選択肢となる。ただ、過去検討したことがあるExecutive MBAに今でも興味がある。


アメリカで働く上で、考え方が変わったことがもしあれば

  • 人生なんとかなるというマインドセットになった。妻と二人、仕事もない状態でアメリカに来たが、7−8年の時を経て、現在はそれなりに満足のいく会社・ポジションで働くことが出来ている。今後クビになってもなんとかなる、という自信がついた。

  • アメリカでも日本でも、働き方の根本は変わらない。変に取り繕う必要はなく、等身大で頑張る。真摯に、真面目に、準備をきちんとすることを心がけている。


トップ画像はAdobe Fireflyにて「New York Financial Institution」で生成

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