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在米日本人インタビュー:世界銀行で働く


自己紹介をお願いします

  • 世界銀行のワシントンDCにある本部にて、上級水資源管理専門官として勤務。

アメリカに来る前の経歴について、教えて下さい

  • 19歳の時にバングラデシュに旅行し、初めて海外を経験した。途上国の中でも、農村が最もEmpowerされていないと感じ、東大の農学部に進学。

  • 電波少年や深夜特急の影響もあり、大学時代にバックパッカーがブームに。大学の留学生会館でバングラデシュ人と仲良くなり、バングラデシュに興味を持った。バングラデシュは当時の世界最貧国で、初めての海外経験は、Extremeな国に行きたいと思った。現地で出会った人々の多くは一生懸命働いていながら、貧困に苦しんでいた。同じ生を受けたのに、世界に不満を抱えながら死んでいく。自分に出来ることを考える中で、農業、その中でも水資源の分野に行き着いた。

  • 修士と博士の間に1年休学し、国際機関でインターンをしようと思った。当初はインドに行く予定だったが、ビザが下りず、しばらく居酒屋バイトで生計を立てることになった。その後、バンコクのUNEP(United Nations Environment Programme)でポジションを得て、インターンをした。

  • 東大に復学後、博士課程に進んだが、博士在籍途中に新領域創成科学研究科で助教のポジションを得て就職。(その後助教在職中に博士号を取得)。大学教育に問題意識があり、教員として学生に近い立場で仕事をすることは面白かった。ただし、関心があった途上国開発については、研究者としてObserver的な立場で関与することとなり、そのままで良いか悩んでいた。大学で准教授を目指そうか考えた末、総合職としてJICAに転じた。JICA本部で3年、ネパール事務所で2年仕事をした。

  • JICAでは、開発の最前線で仕事をし、良い経験が出来た。一方、JICAでは総合職として、何でも屋としてのポジションで働いていた。自分の専門は水資源だったが、財務や人事等、関心が薄い業務にもローテーションすることになる。キャリアで脂が乗っている30代に、自分の専門性を追求できるポジションに転じたいと思い、世界銀行に転職した。

アメリカに来る前の海外経験はどのぐらいか

  • 長期で住んだのはバンコク(1年)とネパール(2年)のみ。留学経験はなし。

  • 学生時代にバングラデシュやアメリカにそれぞれ1ヶ月程度旅行した。

  • 研究者となってからは、出張で海外に行く機会があった。


アメリカに来る前、英語はどれぐらい出来たのか

  • 学生時代から、英語が必要なキャリアになるとは思い、英語学習・実践は日頃から心がけてはいたが、国際協力業界における国際的水準には到底到達できていなかった。世銀に入り、世界中で採用された人の中で働くこととなり、大変苦労した。

  • 世銀入行後、英語力を伸ばすために、Toastmastersに参加。また、英語のTutorをつけて、定期的にレッスンを受けている。Tutorの指導を通じて、英語力の根幹を直してもらえていると感じる。また、職場ではProfessionalとして仕事をする中で英語の悩みを周りに聞ける雰囲気ではなく、安全な場所で英語について相談できる相手がいることは大きい。渡米後4−5年で、何とか仕事でのリスニングやスピーキングをストレスなくできるようになったと感じた。

  • 周りの日本人の多くは英語圏を修士や博士で経験している。日本の大学院の指導教員に「海外行く前に日本を知るべき」とアドバイスを受けたこともあり、まずは(留学はせず)アジアについて詳しくなることを優先した。トレードオフがあるのでやむを得なかったとは思うが、留学していれば良かったかも、と思う面もある。

今現在はどんな仕事をしているか

  • 世銀で最初の5年間は東アフリカを担当。その後担当が移り、現在はインドを担当。世銀は地域ごとに担当をローテーションして仕事を回している。途上国の洪水や渇水対策、ダム建設等といったプロジェクトに携わっている。

  • 水分野と一口に言っても、大きく2つの分野に分かれており、上下水道に関わるのが全体の3分の2程度で、これらは安全な飲み水や衛生へのアクセスを確保するのがミッション。自分は上下水道の分野の更に上流での仕事をしており、降った雨がどの程度利用できるか等をテーマに研究、仕事をしている。水資源へのアクセスという点で、灌漑が出来るかどうかは非常に重要。農家の貧困から脱却する上でCriticalになる。日本だと水路が整備され農家が必要な時に水が引けるのは当たり前だが、途上国ではそうではないことが多い。

  • 災害大国である日本にとって、災害対策は強みの一つ。日本政府は防災分野をリードすることを矜持とし、防災関連の国際会議などもリードしている。

  • 仕事内容としては、途上国政府に資金を貸付けたり、技術的な支援を行うことを通じて、堤防やダムといったインフラを整備する。必要となるインフラ自体を途上国側が特定出来ていないことも多い為、世銀としてリサーチを行う業務も存在。南アジアの水セクターの動向等をテーマにレポートを作成。


仕事の面白いと思う部分はどんなところか

  • 貧困状態から脱却したいと思っている人々と対話し、対策を打ち、問題解決の一翼を担うことが出来る。途上国政府で働く人達もなんとかしたいともがいている中、彼ら、彼女達の成長を見たり、時に喧嘩もしながら何かを作り上げていくことは面白い。国籍も人種も超えて、一つの目的に向かって仕事ができる。

日本と比較して、仕事についてどの様に感じているか

  • 日本は先回りしすぎるところがある。仕事では、引き継ぎの為に分厚い資料を用意したり、会議に出られなかった人の為に完璧な議事録を作る。準備する側も大変だが、してもらう側もSpoilされる面がある。

  • 対して今の職場では、情報がどこにあるかわからないから自分が取りに行く過程で、多くの人と有機的に繋がることが出来る。いろんな物を作り上げる原動力が生まれる。自分の力で、違う組織でもやっていけるという自信もつく。

  • 顧客の為に便利に、という精神が日本では根強いが、アメリカではそういったサービスは期待できないものの、結果的に顧客が鍛えられ、逞しくなる。途上国に行くと生きている実感が湧く、という経験をした人は多いと思うが、なんでもやってもらうのは、楽なように見えて、実はその人が工夫する機会を失っていることでもあり、必ずしも本人の為にならないことがある。

なんでアメリカに来ようと思ったのか

  • たまたま世銀の本部がワシントンDCにあったから、というのが回答。自分の専門分野で仕事を続ける上で、日本でやるのは限界があると思い、37歳で世銀に転職。

  • 日本で働きたくない理由はあるか

  • 前の職場ははDiversityへの配慮もある組織だったが、それでも意思決定言語が日本語である為、現地で雇うスタッフを活かしきれていないと感じていた。業務言語を英語にすることで世界中にいる専門性がある人材を即戦力として活用できるという点は大きい。

アメリカにはどんなビザで来たのか

  • G4ビザという、国際機関の職員向けのビザで渡米。Diplomatビザの一種。

  • 家族にもビザは付与される一方で、自分にビザが紐づくため、単身赴任という選択肢が無い。子供が高校を卒業するまでは家族の生活を安定させたいと思い、DCで勤務していた。

アメリカで働く中で、どんな苦労を経験したか

  • Job securityがないことには苦労させられた。元々2年の契約で採用されたが、その後契約延長できるかは大きな壁。社内営業という形で自分を周囲に売り込むことが必要になった。2年契約の後3年契約を得て、5年経験して漸く、周囲にも能力を認められ立場も安定したと感じられるようになった。

  • 大学で助教として働いている時に鬱病になった。大学の保健センターで抗うつ剤を処方してもらい、回復には1年以上要した。その後のキャリアにおいても負荷がオーバーフローすると負のスパイラルに入りかかることはある。今では自分のメンタルを管理するのもプロの仕事の一つと捉え、仲間を見つけて励まし合う等している。色々経験を経て、メンタルの面の落ち込みを乗り越えることがうまくなった。日本にいた時は鬱について公言することに恥の意識があり憚られたが、こういったことを表立って言いづらいのは日本の良くない点だと思う。

  • 鬱状態に状況にある時は、鬱の症状のせいで普段よりも判断力や思考力が低下してしまうが、それにより自分に失望するのでなく、そのことを客観視出来る様になるのが大事。心がけ次第でかなり変わる。

  • 成功してきた人程、プライドが作用するし、周囲にも成功している人が多く、弱みを口に出すのが難しくなる。自分が関わる人には、見栄をはらなくても良いと話すようにしている。

今後どの様なキャリアにしたいと思っているのか

  • 今の仕事でやれることはある一方、慣れて来ているのも事実。新しいことに挑戦したい気持ちがある。今の仕事を続けながら、未来への種まきをしたい。途上国開発での仕事をする上で、パブリックに拘る必要もないと思う。途上国のスタートアップとタイアップできたら面白いと感じている。

今後もアメリカに残るつもりか

  • アメリカの生活自体は凄く気に入っている。他方で、これまでの人生で様々な場所を転々としており、生活が楽になるとこれでよいのかと考え始めてしまう。新しい場所に行くことで人生に彩りが出るので、一つの場所に安住するより新しい場所でチャレンジしたい。

アメリカで働く上で、考え方が変わったことがもしあれば

  • 勇気を出して声を上げることと、それを称賛する文化がいかに社会が変化していく上で大事かを学んだ。日本社会の様に、折角勇気を出して声を上げても、その粗探しをしたり、自分に火の粉のふりかかるのを恐れて我関せずを決め込んだりすると、何か考えを抱いても黙っていた方が得、という価値観が浸透してしまう。多少の粗はあっても新しい考え方を受け入れていかないとイノベーションはおきえない。ポジティブに物事を捉えることは、人間が楽しく生きていくためにも重要。

その他何か一言あれば

  • 小さなことでも良いので、Comfort zoneを越えることが大事。突然海外に行くとかでなくても、今まで話す機会がなかった人に話しかけてみる、とかでも良い。少しずつ壁を乗り越える中で、挑戦することへの楽しみ、見返りを感じられる。


トップ画像はAdobe Fireflyにて"世界銀行 "で生成

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